アカイイト SS
あの糸をもういちど

「あなたとは今日明日きりの関係だと思っていたから。私の役目とは無縁の存在だと思っていたから――」
「今ここで別れた後も、いつの日にか運命が重なることがあるだろう。そしてそのときはきっと、私たちは対峙していることだろう」
「だからここで、私たちの縁の糸を断ち切ろう」

「…………はっ。…………はっ。…………はっ。…………はっ」
 夏の日射しと蝉時雨だけが降り注ぐ山道を、私は歩いていた。やはり、朝早く出てきたのは正解だった。真昼の日射しの下では、歩くだけで体力を消耗することになりかねない。それは、戦いを前にした現在、もっとも避けるべきことだった。
 そう、私は今、戦に向かおうとしている。我が軍は私一人。もっとも、敵も一人だから数的には互角。だが、こちらは人、相対するは鬼。千羽妙見流と維斗の太刀をもってしても、五分か、あるいは──。
 馬鹿馬鹿しい。心の中で苦笑する。そんな机上の空論ならいくらでもできる。実際の戦いになれば、ただ全力を尽くすのみ。だいたい、まだこの山にいるかどうかも判らないのに。
 それでも私は歩く。この土地に伝わるご神木を目指して。今ある、奴の手がかりはそれだけなのだから。昨夜、桂さんから聞いた話を信じるほかないだろう。
「桂さん──」
 思考の中に、不意に入り込んでくる名前。
 考えてはいけない。もう彼女との縁は切ったのだ。この維斗で切ったのだから。
 思い出せ。昨夜、維斗の太刀を突きつけた時の桂さんの顔を。あのおびえた表情を。まるで、鬼を見るかのような──。
 慣れている。もうそんな表情は何度も見てきたんだ。そうして、みんな、私から離れていった。桂さんだって、きっと、同じように離れていくに違いない。
 立ち止まり、頭を振る。雑念を追い出すかのように。長い髪が揺れ、そこに暑い空気がまとわりついた。
「ふぅ……」
 持ってきたゼリー状携帯食品の蓋を開け、少し口に含む。水分とエネルギーを同時に補給できるのは便利だ。味気無いとか言っている余裕は無い。
「桂さんは嫌がるだろうけどね──」
 ……また、思い出してしまった。朝、目を輝かせてご飯を食べている桂さんの顔。桂さんとは短い付き合いだったが、表情がとても豊かで──特に、食事どきの彼女は、とても印象的だった。
「納豆とご飯を、あんなに嬉しそうに食べてる人を見たのは、初めてだな……」
 その様子を思い浮かべると、つい口元が緩んでしまう。
『あったかいご飯に、よく糸をひいた納豆。やっぱり日本の朝ごはんはこうでなくっちゃね〜〜』
 そして、葱を食べられないという私に、梅を混ぜても美味しいと教えてくれた。あれは意外な発見だった。おかげで、その後もしばらく納豆談義に花が咲いてしまったっけ。
 そう言えば今日の朝食は何だったのだろうか。私はお役目を果たすため、朝食を摂らずに出てきたが、桂さんはまた美味しそうに食べているのだろうか。
「……やめよう。今は、奴を倒すことに集中しないと」
 ゼリーのパックをポケットにしまい、元のペースで歩きだす。道はもうほとんど無いに等しい。だが、よく見れば、つい最近、何かが通った跡があるのが分かる。
「この先に……」
 奴がいるのだろうか。いや、きっといる。そこにご神木があるというのなら。あの鬼が何を考えているにせよ、ご神木を傷つけるようなことが合ってはならない。
 そして。突然、視界が開けた。

 そこには、見上げるほどの大きな、大きな槐の木が立っていた。おそらく、樹齢数百年、あるいはそれ以上だろうか。彼の木に遠慮してか、周りの木は伸びておらず、ちょっとした広場のようになっていた。
 巨大な槐は、真っ白な花を今を盛りと散らせていた。あたかも紋白蝶のように、風に乗りひらひらと舞い散る花びら。
 そして、その木にもたれかかるようにして、奴が立っていた。
「探したぞ……」
「千羽……烏月さんか。鬼切部千羽党、当代の鬼切り役」
 奴は取り立てて驚くことも無く、真っ直ぐに私を見た。その視線を真っ向から迎え撃つ。しばらくにらみ合いを続けたあと、先に目をそらしたのは奴だった。
「見逃してくれ……と言っても、聞かないんだろうね」
「当然だ。何のためにここまで来たと思っている」
「そうだろうね。でも、僕も切られるわけにはいかないんだ。……少なくとも、今は」
「今は?」
「そう。それより、聞きたいことがあるんだ」
 奴の目が険しくなるのが判った。
「聞きたいこと?」
「ああ。どうして、彼女をここに呼んだの?」
「彼女?」
「彼女は君の名前を僕に聞いてきたんだよ。『千羽烏月って人を知ってますか』ってね。彼女の名前は──羽藤桂」
「桂さん!?」
 どうして桂さんの名前がここで出てくるんだ。
「あの子は他の街で何も知らないで暮らしていたはずなんだ。どうしてこの街に連れてきたんだ! どうして、鬼の──主の住まう土地に!」
「知らんな。私が桂さんに出会ったのはただの偶然だ。父親の実家を見に来たとは聞いているが。だいたい、なぜそこまで知っている。まさか、おまえも彼女の血を──貴様、彼女に何をした!?」
 もし、この鬼が桂さんの贄の血を飲んでいたとしたら……私の勝ち目はかなり低くなる。だが、奴はそんな私をあざ笑うかのように、軽く答えた。
「何もしてないよ。僕が彼女を傷つけるはずが無い……と言っても説得力がないけどね。とにかく、今度彼女に会ったとき言っておいてくれないか。もうここには来るな、って。すぐにでも、今まで暮らしてきた街に帰るんだ、ってね」
「それには私も同意見だ……だが、それはできない」
「どうして?」
「昨夜、彼女との縁を断ち切ったからだ」
 そして、私は維斗を鞘から抜いた。刀身を振り上げ、半身に構える。それに合わせて奴も構えをとった。徒手空拳だからといって侮ってはいけない。
「まさか……彼女を傷つけたのか? その維斗で、また」
 奴の脳裏には、あの時の情景が浮かんでいるのだろうか。私が、人を切ったときの情景が。
「切ってはいない。だが、私の邪魔をすると言うのなら──」
 重心を下げ、その反発力で一気に踏み出す。狙うは奴の──左首!
「切るまでだ!」
 体重を乗せた打突。刃先が空気を切り裂き、奴の首筋を捉えた。一撃必殺の突進技。
(取った!)
はずだった。だが。
「甘い!」
 紙一重で刃先をかわしたかと思うと、その勢いで私に向かい、掌を打ち出してきた。まずい。両手による突きを打ち出した今、胴はがら空き──。
 と、突然奴は動きを止め、慌てたように私から離れた。これ幸いと、バランスを崩して倒れそうになる体を引き止め、できる限りの速度で奴の方へ向き直り、体勢を整える。
「危ない危ない。あの体勢から膝を出して来るとはね」
 どうやら、無意識のうちに膝を出していたらしい。日頃の修行の成果か。
 緒戦は互角。だが、奴の体裁きは私よりも上と見ていいだろう。こちらに利があるとすれば、この維斗しかない。
 と、今度は奴が突然構えを解いた。
「やっぱり、太刀を持った千羽妙見流相手に、素手はキツイや。ここは、退くとするよ」
 言うや否や、奴は脇の茂みへ姿を隠した。
「待て! 逃がすか!」
 奴の狙いは明らかだ。木々に覆われた森の中では、長い太刀はその力を発揮できない。いや、むしろ邪魔だ。だからと言って、今、逃すわけにもいかない。私は維斗を鞘に納めると、奴の逃げ込んだ方向へ全力で駆けだした。奴の気配だけを頼りに足を進める。下生えが服に引っかかり、少し破けるのが判ったがそんなことを気にしている場合ではない。
 そうやってしばらく奴を追っているうちに、突然、奴の気配が消えた。
「どこだ……?」
 すぐさま大きな木の脇に隠れる。そして、自分の気配を完全に消し、相手の動きを全身全霊で感じようとした。
 どれほどの時間が経ったのだろうか。突如、奴の気配を感じた。先程までとはうって変わって、気配を隠す様子すら無い。しかも、奴のいる場所は、森の中に比べればずっと広い山道のはず──。
「もらった!」
 私は道に飛び出すと同時に右手で維斗を抜いた。そして、左手で奴の腕を取り、そのままの勢いで押し倒すな否や、維斗の刃を奴の首に向け──。
 違う! 奴ではない!
 右腕の力をふりしぼって、振り降ろす刃を止める。どうにか首を刎ねる直前で刃は止められた。
「あはは、烏月さんに刀を向けられるのはこれで二回目……ううん、三回目かな。二度あることは三度あるんだねぇ」
「……あなたか」
 私の下で倒れているのは、紛れもなく桂さんだった。
「見事にしてやられたな。こうしている間に、奴には逃げおおせられたか……」
 先程、一度気配を見失った場所を一瞥したあと、倒れている桂さんに手をさしのべた。桂さんは両手でその手を取り、立ち上がった。
(小さな手だ……)
「奴ってケイくんのこと?」
「……その質問に答える義務はない。あなたとの縁は昨夜切ったはずだ」
 桂さんが完全に立ち上がったのを確認して、私は手を振りほどいた。もういいだろう。少し長くなったが、彼女との縁はこれで終わりだ。
「人のこと転ばせて刀を突きつけておいて『関係ない』はないんじゃないかな。そのへんちゃんとしてくれないと、わたし烏月さんのこと鬼って呼ぶよ」
 ……どうして、今回に限ってこう突っかかってくるのだろう。しばし、言葉につまる。
 私が沈黙したのを、彼女は肯定と受け取ったようだ。
「それで、奴ってケイくんのこと? もしかしてわたしのこと、ケイくんと間違えた?」
「……ああ、あなたの言う通りだ」
「相手をよく確かめないで乱暴するからだよ」
「それに関してはすまないことをした。気配の質を見れば、奴か別人かわかるつもりだったしね」
 だが、実際には、全くと言っていいほど区別がつかなかった。「ケイ」と同じ響きの名を持つことによる影響があったとしても、あまりに似ている──。
「偶然なのか、奴があなたを利用したのかはわからない。だが、あなたの気配を奴のものと誤認したせいで、こうして逃げられてしまった。……もう追いつけないだろうな」
 不可抗力とは言え、悔やまれる。思わずため息が出てしまった。
「……それにしても、どうしてあなたがこんな所にいるんだい」
 この山には、人払いの結界が張られている。だから、よほど強い目的がない限り、ここに来ることはできない。だが、桂さんは。
「わたし、ちゃんと目的があって来てるよ」
そう言った。昨日はおそらくご神木を見ることだろう。だが今日は?
「今日は烏月さんと会いたくて、話したくて」
 ……何を言ってるんだ、この人は。
「……私と会って、一体何を」
「切られた縁をね、結び直したいんだよ」
 ……どうして。
「そんなことをして何になる。昨夜説明したはずだ。私は警告したはずだ」
「鬼を引き寄せやすいわたしが、鬼切りの烏月さんと関わると辛い思いをするって?」
「その通りだよ。ただの人とさえ関わらないようにしているんだ。ましてやあなたは贄の血の持ち主。それなら――」
「それでもっ!!」
 私の言葉を、桂さんの叫びが遮った。よく通る声が、しばし森の中に木霊する。
 一呼吸置いて、桂さんは再び話しだした。
「わたしはね、後悔するかもしれない予約が今更ひとつぐらい入ったって、全然構わないよ。それに烏月さんの話って、やっぱり『もしも』の話だもん。そんな脅しに負けて逃げたら、わたし絶対に後悔する」
「どうして――」
 どうしてそこまでしたいと思うのか。
「わたしが烏月さんと仲良くしたいから」
 ああ。どうして。どうしてこの人は。
 私の思ってもいなかった、そして本当は欲しかった言葉を私にくれるのだろう。
「やっぱり、烏月さんはひとりがいいの? わたしと友達になるのは嫌?」
「桂さん、あなたという人は――」
 視線が絡まり合う。いつになく強い瞳が私を見つめていた。
 きっと、その瞳の強さは想いの強さ。そして、その瞳に、彼女への想いを誤魔化そうとしている自分の心が映っている──そう思うと、彼女の瞳を正視できなかった。
「ふう……」
 ため息と共に視線を外す。完敗だった。
 今わかった。この想いを。桂さんとつながった糸を、二度と断ち切ろうとはすまい。たとえ、それが後悔につながるとしても。
 そして、鬼が寄ってくるというのなら、私が守ろう。私にはその力があるのだから。そうだ、約束しよう。私が桂さんを守ると。

 ──この日。私は初めて、維斗の太刀で切れないものがあることを知ったのだった。

- fin -

あとがき


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