ARIA The ANIMATION/Natural SS
明日へ伝える思い

 ぎぃ。ぎぃ。ぎぃ。
 オールで水を漕ぐたびに、ゴンドラから、軽くきしむような音が鳴る。
 藍華は、目的地が見えたことを確認すると、オールを漕ぐ腕を休め、額に浮いた汗を拭った。もうすぐ夕方だというのに、初夏の陽差しはまだ強く藍華を照らしていた。
「アリシアさん、いるかな……」
 藍華の目指す先は、アリシアのいる、ARIAカンパニー。藍華のいる姫屋に比べればずっと規模は小さい会社だったが、藍華にとってはそんなことはどうでもいい事だった。問題は、今、アリシアがそこにいるかどうか。
「よしっ、もうひと漕ぎっ」
 ぎぃ。ぎぃ。
 再び軽い音を立ててゴンドラは水を切って進みだした。
 ゴンドラがARIAカンパニーのすぐそばまで近づいたとき、建物の海に面した窓から、誰かが手を振っているのが見えた。
「やっほ〜、藍華ちゃ〜ん」
「やっほ〜、灯里〜」
 窓から手を振っているのは、水無灯里。ARIAカンパニーの新人で、藍華の友人だ。藍華と同じ、両手袋(ペア)のウンディーネ見習い。
「よっ、とっとっとっと……」
 藍華は、ゴンドラの速度を緩め、窓のすぐ真下に止まるよう、ゴンドラを操った。
「どうしたの〜、藍華ちゃん?」
 建物の中から船着場へと出てきた灯里が尋ねた。
「あ、あのさ……アリシアさん、いる?」
 いてほしい。いや、いてくれないとここに来た意味がない。だが、灯里の返事は、
「ううん。いないよ。今、お仕事で出てる」
という、藍華の期待を裏切るものだった。
「そっか〜……」
「藍華ちゃん、アリシアさんに何か用?」
「うん、まあ、用っていうか、なんていうか、その……」
 いつになく歯切れの悪い藍華。
「ほへ? 藍華ちゃん、何かあったの?」
「うっさいわね。それより、アリシアさん、いつごろ帰ってくるか分からないの!?」
「う〜ん、たぶん、あと十五分もすれば戻ってくると思うんだけど」
「十五分か……。なら、ちょっと待たせてもらうわよ。いい?」
「うん。いいよ。じゃ、お茶淹れるから、適当にその辺でくつろいでいて」
「あい。おじゃましまーす」
 勝手知ったる他人の家……もとい、社屋。藍華はゴンドラを降りるてスロープを登ると、扉を開けて建物の中に入った。
「ぷいにゅ」
 中に入った藍華を、アクア猫のアリア社長が出迎えてくれた。
「アリア社長、こんにちは。相変わらず見事なもちもちぽんぽんねー」
「ぷいにゅ、にゅっ」
 小規模運営のARIAカンパニーの建物はごく小さなものだ。藍華が一階にある応接室のソファーに腰を据えると、程なくして灯里が淹れたての紅茶を持ってやって来た。
「はい。どうぞ」
 カチンと小さな音を立てて、ティーカップが二つ、テーブルの上に置かれる。
「それで、アリシアさんに何の用なの?」
「なに、あんた? 取り調べ?」
「いへ、べつにそういう訳では……」
「……ちょっとね、相談、っていうか、お願いがあって……」
「あらあら。お願いって何なのかしら?」
「って、アリシアさんっ!?」
「あ、おかえりなさい。アリシアさん。早かったですね」
「ただいま、灯里ちゃん、藍華ちゃん」
「ど、どうも! おじゃましてますっ!」
 二人とも気付かないうちに、アリシアが帰って来ていた。
 慌てて席を立つ灯里と藍華。灯里はアリシアの分の紅茶を淹れるために、そのまま台所に向かった。藍華はといえば、半ば条件反射的に立ち上がってしまい、頭が軽くパニック状態になっていた。
(ああっ、えっと、あれ、どうすれば。そうだ、アリシアさんに話が──って、なんの話だっけ、えっと、えっと……)
「ああ、いいわよ。藍華ちゃんも座って」
 そのアリシアの一言で我に返る藍華。
「あ、はい……じゃ、失礼します」
 藍華はゆっくりとソファーに腰掛けると、テーブルの上に置いてあった灯里の淹れた紅茶を一口、口に含んだ。温かくてかぐわしい香りが鼻をくすぐる。
「それで、お願いって?」
 ティーカップを置いて、アリシアが藍華に尋ねた。
「え、えっとですね……来週、片手袋(シングル)への昇格試験があるんですよ」
「わ、藍華ちゃん、試験、受けるんだ」
 アリシアの紅茶を持ってきた灯里が、横から口をはさむ。が、それを無視して藍華は話を続けた。
「それで、その……アリシアさんが試験受けたときはどうだったのかなーとか訊きたいというか、その、応援してほしいというか……」
「あらあら。晃ちゃんには訊いてみたの?」
「一応、訊いてはみたんですけど……『ダメだ。自分で考えろ』ってバッサリと」
「あらあら。じゃあ、私も教えられないわね」
「そんな〜、アリシアさ〜ん」
 猫撫で声を出して甘えてみる藍華。
「藍華ちゃんは、どんなウンディーネになりたいの?」
「えっ? それは──やっぱり、アリシアさんみたいに、優雅で可憐な……」
「うふふ、ありがとう」
 アリシアはそう微笑むと、少し何かを考えながら、紅茶を一口飲んだ。
「じゃあ、ウンディーネにとって一番……ああ、そうね。実際に乗ってもらったほうがいいわね」
「へ?」
「藍華ちゃん、ちょっと付き合って。灯里ちゃん、お留守番お願いできる?」
「はひ。いいですよ」
「え?」
「さ、藍華ちゃん。来て」
「ええっ!?」

 水の上を、滑るようにゴンドラが流れていく。乗っているのは藍華。漕いでいるのはアリシア。アリシアのファンを自称して止まない藍華だったが、実はアリシアの漕ぐゴンドラに乗るのはこれが初めてだった。
 余計な音も、揺れもまったく無い。これが、プリマの漕ぐゴンドラなのか──。
 しばらくそうしてゴンドラに乗っていると、アリシアが口を開いた。
「藍華ちゃんは、どうしてウンディーネになろうと思ったの?」
 アリシアの問いにしばし間を置いて、藍華は答えた。
「私って、姫屋の跡取り、じゃないですか。だから、ウンディーネになるって、小さいころからそれが当たり前のような気がしてて」
「そっか。ちょっと羨ましいな」
「え? 羨ましいって」
「私は身近にウンディーネの先輩はいなかったもの。むしろ、両親には反対されたのよ」
「ええっ? アリシアさんが? どうして?」
「うちは、昔から続く家業があったから。私にもそれを継いでほしかったみたい」
「そっか、アリシアさんも跡取りだったんですか……」
「でも、私はどうしてもウンディーネになりたかった。幼いころ乗ったゴンドラから見た景色。それがずっと忘れられなかったのよ」
「アリシアさん……」
「今から、その景色を見に行きましょう? そろそろちょうどいい頃合いだし」
「は、はい……」
 アリシアはオールを漕ぐ腕に力を込めた。ゴンドラが今までよりも速く走り出す。ゴンドラは街から外れた外洋──ネオ・アドリア海を目指しているようだった。
 どれくらい進んだだろうか。すでに藍華の視界には海しか見えない。
「このあたりでいいかしら。さ、藍華ちゃん、見て」
 そう言うと、アリシアはゴンドラを反転させ、舳先を今やって来た方向に向けた。
「うわあ……」
 そこにあったのは。
 夕陽に照らされ、オレンジ色に染まったネオ・ヴェネツィアの町並みと、オレンジから青へと鮮やかなグラデーションを描くネオ・ヴェネツィアの空と海だった。
 サン・マルコ広場も、大聖堂も、宮殿も、塔も、街を形作る全ての建物がオレンジ色。ただ一色に染まるのではなく、光と影が複雑に絡み合い、見たことの無い姿を映しだしていた。
「どう? この景色は?」
「すごい、綺麗……。やだ、なんでだろ、泣きそう」
 その風景は、とても言葉では言い表せそうも無かった。
「ネオ・ヴェネツィアって、こんなに美しい街だったんですね……」
「そう思ってくれて嬉しいわ。私も、この景色を見て、今までよりもずっとこの街が好きになったの。そして、この景色を見せてくれたウンディーネに憧れて、私はウンディーネになる決意をしたのよ」
「そんなことがあったんですか……」
「きっかけは人それぞれだわ。でも、ウンディーネとしてこのネオ・ヴェネツィアを、このアクアを案内する人は、この街と、この仕事を好きでいてもらいたい。私からのお願いは、ただそれだけよ」
「ウンディーネの仕事を好きに……」
「その気持ちを忘れなければ、きっと素敵なウンディーネになれるわ」
「……そうですね。好きっていう気持ちを、私が漕ぐゴンドラに乗った人たちに伝えることができれば──それは、すごく素敵ですよね」
 今のは少し恥ずかしいセリフだったかな、と思い、藍華は頬を赤らめた。そんな顔を見られたくなくて、うつむいてしまう。
「藍華ちゃんの言う通りね。そんな素敵を、たくさんの人に伝えられる、このお仕事が私は大好きなの」
「はい、私も──もっと、もっと好きになりたいです」
「うふふ。なら大丈夫よ」
 アリシアは体をかがめて、手を伸ばした。その手の先には藍華の髪。
「あっ……」
 アリシアの小さな手が、藍華の頭を撫でていた。
「試験、がんばってね」
「は、はい!」

 一週間後。
 藍華は再び、ARIAカンパニーを訪れていた。
「やっほー、灯里、アリシアさんいる?」
「うん、いるよー。今呼んでくるー」
 藍華がゴンドラを船着場に止めるのと、アリア社長を抱いたアリシアが出てくるのは、ほぼ同時だった。
「あらあら、いらっしゃい、藍華ちゃん」
「ほらほら、見てください、アリシアさん!」
 ゴンドラから降りた藍華は、両手をばっと前に突き出した。その手は片方だけに手袋。もう片方は素手。
「試験、合格しました!」
「おめでとう、藍華ちゃん。今日から晴れて片手袋(シングル)ね」
「わ、藍華ちゃん、試験受かったんだ、おめでとう!」
「ぷいぷいにゅー」
「よーしよーし。これからもビシバシしごいてやるからなー。覚悟しとけよ」
 拍手とおめでとうの声の中に、聞き慣れた声が後ろから聞こえてきた。藍華は嫌な予感がしつつも後ろを振り向く。そこには──。
「ほーほー。自分の先輩には何も言わずに、真っ先にアリシアのところに報告か。いい根性してるなー、藍華」
「あ、晃さん。いや、その、それは」
「まあいい、今日は合格祝いだからそれくらいは多目に見てやろう。だが、シングルになったからには、もお〜っと厳しく鍛えなければなー、うんうん」
「晃さ〜ん」
 晃に泣きつく藍華。
「ばかもん。泣きついてる暇があったら練習に精を出せ……と言いたいところだがな、今日は合格祝いだ。ほれ」
 そう言って晃が差し出したのは、藍華の大好きなケーキ屋の箱。
「アリシア、お茶を入れてくれるか? レクレのショートケーキに合いそうなやつ」
「はいはい。灯里ちゃん、手伝ってくれる?」
「はひ、アリシアさん」
 藍華は、アリシアと灯里がARIAカンパニーの中に入っていくのを見送ってから、振り向いて晃に尋ねた。
「あの、晃さん、それって……」
「今日が発表日だってのは知ってたからな。あらかじめ買っておいて正解だった」
「晃さん……」
「頑張れよ、これからも」
「はいっ!」
「さ、合格パーティーだ。楽しもう」
 背中を軽く押されて、藍華もARIAカンパニーの中に入ろうとして──、ふと一つの疑問が思い浮かんだ。
「あの、晃さん。私が不合格だったら、どうするつもりだったんですか?」
「その時は、残念会になってただけさ。ま、藍華が落ちるとは思ってなかったしね」
 不意に藍華の中に不思議な感情が浮かんできた。それは、あの夕焼けを見たときと同じような──。
「おわっ、藍華、なんで泣くんだよっ?」
「あ、あれ? 私……すいません。なんか、今になって実感湧いてきたっていうか、こんなに幸せでいいのかな、っていうか……」
「いいんだよ。いくらでも幸せで。さ、早く行こう。アリシアと灯里がお茶を淹れて待ってるぞ」
「はい!」
 片手だけになった手袋で涙を拭うと、藍華はしっかりとした足どりで、歩きだした。今日から始まる、新しい自分の姿を頭に描きながら。

- fin -

あとがき


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