アカイイト SS
クレープ事件

「はむっ」
 手に持ったクレープを一口かじると、口の中いっぱいに、ホイップクリームの甘さがじんわりと広がった。
「ううっ、幸せー」
 悲しいことや辛いことや難しいことを全部包んで、頬をふやふや緩ませてくれるこのふわふわとした甘さは、人類の英知の結晶だと思う。
「そうだね、見るからに幸せそうだ」
 そんなわたしの隣にいるのは烏月さん。昼食を食べ終わって、せっかくだからと半ば強引に引っ張って、こうしてふたりで一緒に商店街をぶらぶらと歩いていた。
「わたし、けっこう甘党なんだ」
 どちらかというと和菓子のほうが好きだけど、クレープだって嫌いじゃない。
「それにこのクレープ屋さん、何気に侮れない仕事してるよ。わたしの地元の人気店より美味しいかも。侮り難し、経観塚銀座通り」
 そんなことを考えながら、二口目を頬張る。
「はむっ、あむっ」
 はあ〜、幸せだ〜。
「ふふふっ」
 そんなわたしを、烏月さんがじっと見ていた。やだな、なんか照れちゃう。
「どうしたの?」
「いや、相当空腹だったんだな──とね」
「わ、そんなこと……」
 そういう烏月さんの方を見ると、手の中のクレープは、歯形つかずの新品状態。
(あ、もしかして)
「もしかして、烏月さん、甘いの嫌いとか駄目だったりした?」
 しまった。確かに烏月さんの好みとか、詳しいわけじゃないし。たとえ嫌いじゃなくても、納豆に葱を入れられなかったりすることもある。他の理由で食べてはいけないのかもしれない。
 浮かれてた。つい烏月さんと一緒にいられるからって──。
「……えっと、まずかったかな?」
 でも、烏月さんは優しい微笑みを浮かべながら、静かに首を横に振った。
「いや、食べる機会はそれほど無いけど、甘いものは嫌いじゃないよ。むしろ好きな方だね」
「じゃあ、お腹いっぱいだとか……」
「ああ……」
 烏月さんは手に持ったものに、目を落として言う。
「こういったものを食べる機会がないものだから、とりあえず桂さんに倣おうかと様子を見ていたんだけれどね」
「うん」
「桂さんがあまりにも幸せそうだから」
「うあ……」
 表面温度の急上昇にともない、赤熱する顔を慌てて伏せて隠す。
 陽子ちゃんやサクヤさんがいるから、からかわれるのは慣れているけど、烏月さんの言葉や視線は真摯なだけに凶悪だ。
「……あの……ね?」
 ちらりと上目でうかがうと、烏月さんは前を向いて一口目をかじっていた。どうかな? 美味しい、って思ってくれると嬉しいんだけど。
 一口目のクレープを食べ終えた烏月さんは、そのまま二口目を──食べようとして、動きを止めた。
「どうしたの?」
「食べかけですまないが、後は任せた」
 と、一口食べただけのクレープをわたしに押しつけた。
「え? やっぱり口に合わなかった? 大判焼きとか鯛焼きの方が良かったかな?」
「いや──」
 和らいでいた表情は、もののふの甲冑にすっかり硬く覆われ、わたしが声をかける間もなく走り出した。
 しばらく呆然と烏月さんの走り去った方を見ているわたし。置いていかれた言葉だけが、今になってようやく脳に届いた。
「――奴を見つけた」

 烏月さんの走っていく方向、その更に向こうを見ると。誰かが烏月さんから逃げるように走っているのが見えた。あれは──ケイくん。
 そうしている間にも、クレープを両手に持ったまま立ち止まったわたしと、烏月さんの距離はみるみる離れていき、そのまま路地を曲がって姿を消した。
「……あーあ、おいてけぼり」
 仕方ないのはわかっている。烏月さんはケイくんを捕まえるのがお仕事。さっきまで休憩時間だったとはいえ、目の前に目標があるのなら、そちらを優先するのが当然といえば当然。それはわかっているけれど。
「ケイくんも、こんなときに姿を現さなくたっていいのに」
 わたしは、右手に持った自分のクレープを一口、食べてみた。さっきと同じ、ふわふわとした甘さが口の中に広がる。でも、それが幸せかというと──よく分からなかった。
「もう少し、烏月さんとおしゃべりしたかったな」
 はあ、と軽くため息。
「とりあえず、旅館に戻ろうかな」
 旅館の方角へ足を向ける。と、そこで気づいた。
「クレープ、どうしよう……」
 自分の分はいいとして。烏月さんの分は。
 クレープなんて、まず確実に日持ちはしないだろうし(しかも、今は真夏だ)、かといって捨てるのは忍びない。とはいえ、勝手に食べてしまうのも気が引ける。
「烏月さん、もう口つけちゃってるしね……え?」
 ど、どうしよう。烏月さんが口をつけたクレープが、今、私の手元にある。
 たとえば、わたしがそのクレープを食べたとする。そうすると、烏月さんが口をつけたものがわたしの口に入るわけで──。
「それって、間接キス、だよね……」
 体中の温度──特に、顔面──の温度が急激に上昇するのが分かった。勢い良く顔を振って、気持ちを落ち着かせる。
「な、なに考えてるのよわたしってば。べつにどうって事ないじゃん、女の子同士だし。クレープの食べあいっこなら、陽子ちゃんやお凛さんとだってした事あるし」
 そう。変に意識する方がおかしいんだ。もう一度、烏月さんが食べたクレープを見る。と、つい烏月さんがこのクレープを食べているときの様子が目に浮かんできた。
 小さく口を開けて、クレープにかぶりつく烏月さん。口に入れたクリームと生地をよく味わってから飲み込んだ烏月さん。唇についてしまったクリームを舌で拭い取る烏月さん──。
「って、何そんな事細かに覚えてるのよ、わたしってばーっ」
 いけない。余計に意識してしまっている。
「これじゃ、食べられないよ……」
 だからといって、このままにしておくわけにも行かないし。
「『後は任せた』って言ってたもんね……。わたし、任されちゃっていいんだよね?」
 ごくり。緊張して口の中にたまった唾液を飲み込む。そう。烏月さん自身から許可はもらってるんだ。だから、これを食べる権利はわたしにあるんだ。
 左手に持ったクレープをそっと、口元に近づける。烏月さんが口をつけた場所をよく確認してから、わたしはその場所に──。
「桂、さっきからそんな所で何やってんだい」
「サ、サ、サ、サクヤさんっ!?」
 びっくりした。いきなり後ろから声掛けてくるんだもん。もう少しでクレープ、落っことすところだった。
「もう、脅かさないでよ〜」
「脅かす、って、普通に声掛けただけじゃないかい。で、さっきから道の真ん中で立ち止まって何やってるんだい?」
 ということは、結構前から見られてたということで。うぅーっ、恥ずかしいよお。
「ははーん、なるほど」
「なるほどって、何が?」
「つまりだ。食い意地が張って、つい二つもクレープを買ってしまったが、結局食えなくてどうしようかと途方に暮れてるんだろう?」
 サクヤさんはわたしの両手が持っている物を見ながら、そう言った。
「いや、そうじゃなくってね」
「遠慮するなって。何だったら、あたしが協力してやろうじゃないか。ちょうど、もうちょっと何か腹に入れたいところだったしね」
 言うやいなやサクヤさんはわたしが左手に持ったクレープに顔を寄せ、
「いただくよ」
ぱくりと噛みついた。
「あ……」
「はむあむ。ふぅん、結構美味いじゃないか」
 満足げな表情を浮かべるサクヤさん。でも、わたしが左手に持っていたクレープは。
「あの、それ……」
「ん? なんだいなんだい。一口くらいいいだろう?」
「そうじゃなくて、こっちのクレープ──烏月さんが食べかけてたやつなんだけど」
 ぴし。
 マンガだったらそんな音を立ててるに違いない。サクヤさんは見事に硬直していた。
「……桂、今、なんて、言った?」
「だから、こっちのクレープはね、さっき烏月さんが食べかけたやつで──」
 サクヤさんの顔が青ざめる。そして。
「おええええええええぇぇぇぇぇぇぇっっっっっっっ」
「きゃーーーーーーーーっ! サクヤさんっっ!!」
 ……いや、本当に戻したりはしてないんだけどね。
「できることなら本当に吐き出したい気分だよ……」
「そ、そんなこと言わないでよ、サクヤさん」
「まったく、このあたしとが、こともあろうに千羽烏月と間接キ……やめよう、思い出したくもない」
「そこまで毛嫌いしなくても」
「しかたない、こうなったら口直しといくか」
「口直し?」
 そう言うと、サクヤさんはわたしの右手のクレープに、がぶりと噛みついた。
「ああっ!?」
「はむはむ……。ふぅ、ようやく落ち着いた……」
 クレープは一口で、半分近く食べられていた。サクヤさん、どれだけ大口開けて食べたのよ……。
「うう、私のクレープ〜」
「いいじゃないか、それくらい。まだ欲しいっていうんなら、あたしが買ってあげるよ」
「ううん、いいよ。さすがにそんなには食べられないし」
「そうかい? ま、ごちそうさま」
「ところでサクヤさん」
「なんだい?」
「さっきのクレープ、わたしの食べかけだけど、良かったの?」
 さっきの過剰反応を見てしまうと、少し心配になってくる。烏月さんだけじゃなくて、他の人が食べたものも駄目なんだろうか。
「ん? ああ。桂の食べかけなら全然気にしないよ。よく、桂の食べ残しとかもらってたじゃないか」
「それは──そうなんだけどね」
「それとも何かい? 桂は間接じゃ、物足りないかい?」
「はい?」
 サクヤさんは左手でわたしの肩を抱き、右手をわたしの顎にかけた。右の手首が少し動くと、わたしの顔は少し上を向けさせられる。その方向には、サクヤさんの顔が。
「あ、あの? サクヤ、さん?」
「桂のだったら、直接いただくのもいいかもしれないねえ。口直しとしては、そっちの方が効きそうだ」
 サクヤさんの顔が、ずいっと近づく。この体勢、この距離は。
「さ、サクヤさん、わたし、大丈夫だから、ね。ほら、ね、だから、あの」
 だんだんと言葉が支離滅裂になってくる。
「桂、目を閉じてくれないかい?」
 文字通り、目と鼻の先でサクヤさんがささやく。言葉は吐息になって、わたしの鼻先をくすぐった。
「うん……」
 言われた通り、ゆっくりと目を閉じる。
 って、どうしちゃったのよ、わたしってば。なんかめちゃくちゃ流されてない? ファーストキスだよ? でも、なんでだろう、体が動かない。心臓の音がやけに大きく響いている気がする。
 そして、サクヤさんの唇が、わたしの唇に──。
 サクヤさんの唇がわたしの──。
 サクヤさんの唇が──。
 サクヤさんの──。
「あれ?」
 サクヤさんは一向に動く気配がない。まさかここまできて冗談とか言うつもりなんだろうか。──サクヤさんならありえるから、怖い。
 閉じていた目をゆっくりと開けると。目の前に銀色に輝く一本の線があった。
「え?」
 一本の線のように見えたのは薄い金属の板──ちがう。刀、だ。刀の背が、わたしの目の前に水平に突き出されている。そうなると、必然的に刀の刃はサクヤさんの方を向いているはずで。
 案の定、刃が触れるか触れないかの位置で、サクヤさんは止まっていた。額に汗が垂れているのは、夏の暑さのせいだけではない、と思う。
「烏月……なにやってるんだい? こんなところで」
 少し震えながらも、サクヤさんはその刀の持ち主に声をかけた。そうだ。今どき刀なんてすぐに出せるような人は、烏月さんぐらいしかいない。
「いえ。こちらの方から邪な気配がしたので、駆けつけたまでです」
「ほう……誰が邪だって?」
「さあ、誰でしょうね。おそらく本人が一番よく分かっているのでは、と」
「言っとくけどね、あたしの桂に対する思いは純粋そのものだよ!」
 うわぁ、な、なんて事言うのよーっ、サクヤさんってば。聞いてるこっちの方が恥ずかしいよー。
「純粋なその人が、何をしようとしていたんですか」
 ぎりっ。烏月さんが刀を持つ手に力を込めた。まずいよ。一触即発だよ。
 なんとかならないかと辺りを見回すと──。
 わたし達の周りは、黒山の人だかりだった。
(そうだったー、ここ、商店街のど真ん中だよーっ!)
「あ、あの、二人とも──」
「何だい」「何ですか」
 ステレオでにらまれた。その迫力に思わずあとずさる。
「そ、その、ね。道の真ん中で喧嘩はまずいんじゃないのかなー、って」
「え?」
 そのわたしの言葉で、二人はようやく現在の状況に気がついたらしい。
「ちっ……仕方ないね。桂、一旦宿に帰るよ」
「そうですね。桂さん、一旦宿に引き返しましょう」
 二人はそう言うと、それぞれわたしの腕を取って、さかき旅館に向けて歩き出した。なすすべも無く引っ張られるわたし。
 遠ざかるわたしの耳に、
「よっ、姉ちゃんモテモテだねっ!」「二股はだめよ、二股は」
といった野次が飛んできた。

「今日はすまなかったね」
 わたしがお風呂から上がって部屋に戻ろうとしていたとき、偶然廊下ですれ違った烏月さんが声をかけてきた。
「ううん、烏月さんのせいってわけじゃないし」
 さかき旅館に戻ったあとも、わたし達の苦労は終わらなかった。なぜか女将さんを始めとする宿の人たちまで噂を聞きつけていて、しかも盛大に尾びれが付いていた。恐るべし、田舎の情報伝達網。
「むしろ、感謝したいくらいだよ」
 わたしが噂について聞かれるたびあたふたしてしまったのを、烏月さんがさりげなくフォローしてくれたのだ。話し方が落ち着いてる事もあってか、それでみんなすぐに納得してくれた。ちなみに、サクヤさんは、ほとぼりが覚めるまで少し出かけてくると言って、そのまま愛車で出かけてしまっていた。
「サクヤさんってば、烏月さんに全部任せてどっか行っちゃうんだから。サクヤさんの方が年上なのに」
「まあ、そこは適材適所、ということで良いんじゃないかな。あの人は、私が絡むと感情的になりやすいようだからね」
「まあ、確かにね……」
「ところで、桂さん。感謝、ということなら一つ──その、頼まれても、いいだろうか?」
 烏月さんがわたしに頼みごと? そりゃもう、できることなら喜んで頼まれちゃうけど。でも、何となく歯切れが悪いような。
「え、えっと、何?」
「その──たいした事では無いのだけど──」
 たいした事では無い、と言いながら、烏月さんはうつむいて足を止めてしまった。
「烏月さん、わたしにできる事ならなんでも言って。何の役にも立たないかもしれないけど──」
 烏月さんは、意を決したように顔を上げ、
「今回の事が片づいたら……。その、また一緒に、クレープを食べに付き合ってくれないだろうか?」
そう言った。普段は大人びたその顔を真っ赤にして。
 その姿が、普段の凛々しい烏月さんとは別人のようで。わたしは、少しの間、思考を停止してしまった。
 それをどう受け取ったのかは分からないけど、烏月さんはさらに言葉を紡いだ。
「今日は結局まともに食べられなかったから──。桂さんと一緒なら、どんなふうに食べたらいいか悩まなくて済むし──。あぁ、嫌ならいいんだ。別にそれほどクレープが食べたいというわけでは」
「うん、いこっ!」
 わたしは、烏月さんの台詞を遮るように、烏月さんの手を取って、そう言った。
「また一緒にクレープ食べよう。一人より、二人で食べた方が美味しいよ、きっと」
「ああ──うん。そうだね」
 烏月さんは一呼吸置くと、視線を下に向けて言った。
「桂さんの手は、温かいね」
「へっ?」
 わたしも視線を下に向ける。そうだ、さっき勢い余って烏月さんの手を思いっきり握りしめて──。
「ご、ごめんなさいっ」
 あわてて手を離す。きっと、今度はわたしの顔が真っ赤になってるに違いない。顔と手が熱くなっているのが自分で分かった。
「別に謝る必要はないよ」
「で、でも」
「いつもの桂さんを見ることができて、嬉しかったよ。それじゃあ、おやすみ」
 そう言って、烏月さんは優しく微笑みかけてくれた。──また、体温が上がりそうだ。
 今夜は眠れないかもしれない。

- fin -

あとがき


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