目が覚めたとき、私は大きなベッドに寝ていた。眼鏡をかけていなかったので視界ははっきりしなかったけど、見た事ない部屋だということは分かった。
私のそばには何人かの人がいて、私を見下ろしていた。ううん、違う。人じゃない。頭には光る輪。そして背中には灰色の羽。……天使? ここは天国なの?
「はじめまして、お嬢さん」
「は、はじめまして……」
話しかけてきたのは、私のすぐ隣で座っていた女の人──天使、だった。年は私より少し上かしら。長いまっすぐな黒髪が印象的だった。
「そんなに心配そうな顔しないでよ。ここには……少なくとも、あなたに悪さを加える人はいないから」
「はぁ……」
「えっと……そうね、やっぱりここからいきましょうか。ねえ、あなたの見た夢を教えて?」
「夢、ですか……?」
「そう、繭の中で見た夢。憶えてない?」
「たしか……森の中を歩いていました。暗い森の中を。夜なのか昼なのか分からなくて。道も分からなくて……。怖くはなかったけど、誰もいなくて……」
「暗い森、か……。じゃぁ、あなたの名前は、クラモリでどう?」
「クラモリ……?」
☆
西の空が黄金色に輝いていた。日の光とは違う、静かで、神々しい光が空に向けて昇ってゆく。
あのひとが巣立ってゆくのを、私は、オールドホームの二階にある自分の部屋から見送っていた。
私の名前を付けてくれたひと。羽の血と脂を落としてくれたひと。私が熱を出したときは看病してくれた。やさしくて、いつもそばにいてくれたひと。
もう、あのひとに会うことは無い。その事は、灰羽連盟の話師から聞くまでも無く、分かっていることだった。
やがて光は消え、空はいつもの春の空へとその姿を変えていた。
私はその空をしばらく見つづけた後、部屋を出て、静かに扉を閉めた。薄暗い廊下を歩き、階段をゆっくりと上る。ゆっくりと言っても、私にとっては普通のペースなのだけど。
「よく言われたわね。『クラモリは歩くのが遅い』って」
階段を上って、三つ目の部屋。そこが、あのひとの部屋だった。
いつものようにノックをしてから扉を開ける。部屋の中は綺麗に片付いていた──まるで、ここを離れることが分かっていたように。普段はどちらかというと散らかしていることが多くて、よく私が片付けていたりしたのに。
「本当に……行ってしまったのね」
いけない。悲しんだりしてはいけない。あのひとは祝福されて巣立っていったんだから。
頭では分かっているつもり。でも、どうしても、寂しいという気持ちがぬぐえそうも無い。
これ以上ここにいることはできそうもなかった。私は早足で部屋を出て、扉を閉めた。
ギィッと軋んだ音を立てて扉が閉まる。扉を背にして、私はつぶやいた。
「これで、私一人、か……」
☆
あのひとが巣立ち、オールドホームに残っている灰羽は私一人になってしまった。
一人になると、あらためてオールドホームの広さが感じられる。廊下を歩いても、響くのは私の靴音だけ。話しかけてくれる人も、おいしいと言って料理を食べてくれる人も、もうここにはいない。
一人でいることがこんなにもつらい事だと私は今まで知らなかった。私は生まれたときからずっと、仲間の灰羽達に──あのひとに守られてきたから。
私は、新しい仲間が生まれてくる事を望んだ。灰羽の繭がいつ、どうやって生まれるか、私は知らない。もちろん、私だってその繭から生まれてきたけれど。だれが生まれる前のことを覚えているというのだろう。
「話師様なら……知っているのかしら」
翌日、私は藁にもすがる思いで、灰羽連盟寺院を訪ねた。
「話しなさい。許可する」
私の姿を見て、話師様はそうおっしゃった。
「昨日……」
「分かっておる。巣立ったのだな」
「はい……」
私は話師様の顔を見た。だが、仮面に隠されたその表情を窺い知ることはできなかった。
「私にも……巣立ちの日は来るのでしょうか?」
「恐れることは無い。巣立ちの日は、良き灰羽に平等に訪れる」
「それは、いつなんですか?」
「それは、誰にも分からん。だが、時期がくればおのずと分かるはずだ」
「ですから、それは……!」
「もうよい。下がれ」
「話師様っ!」
「心に晴れやかならぬ物があるうちは巣立ちは訪れない。私に言えるのはそれだけだ」
「心に……?」
話師さまの姿はすでに遠くにあった。
☆
私は祈った。新しい仲間が生まれますように、と。
だけど、祈りは届かないまま、数カ月が過ぎた。他に何をする気にもなれず、私は一日のほとんど全てをオールドホームの中で誰にも会わずに過ごしていた。
そして、夏が始まったころだった。オールドホームの使われていない一室に、まだ小さな繭を見つけたのは。
新たな仲間の種。私の希望。私は毎日その繭に話しかけた。私のこと。灰羽のこと。オールドホームのこと。あのひとのこと。
そして、繭が割れる。生命が生まれる。
「ここは……」
「おはよう。気分はどう?」
「別に……まだちょっと眠いけど……」
「ふふふっ。ねぼすけさんね、あなたは」
生まれてきた灰羽は、まだ九歳くらいの女の子だった。
「あの……ここは……?」
とまどう彼女に、私は、あのひとから聞いた言葉を投げた。
「ねえ。あなたの見た夢を教えて」
「夢……?」
「そう。あなたが繭の中で見た夢。私に話してくれないかしら?」
「……なんだろう。ずっと寝てた気がするけど……」
「あら? 寝てる夢を見てたの? 本当にねぼすけさんなのね」
「ねぼすけじゃないもん、わたし。わたし、わたしは……あれ? 私の名前は……」
「じゃあ、あなたの名前は、ネム、にしましょう。眠り、のネム」
「……ネム?」
ネムは最初はいろいろなことに戸惑っていたようだったけど、もともと頭のいい子なのだろう。すぐにオールドホームの生活に馴染んでいった。
ネムは幼いながらもとてもしっかりした子で、私の手伝いをよくしてくれた。私が体調を崩したときも、必死で看病してくれた。彼女も感じているのだろう。一人になるということがどれほど恐ろオいかを。だから、ネムのためにも私はまだ消える──それが巣立ちなのか、死なのかは分からないけど──わけには行かなかった。
それから、さらに小さい子が生まれた。廃工場からも年少組の子供を預かり、オールドホームは以前のようなにぎやかさを取り戻しつつあった。私は、本当に幸せだった。
☆
ネムが十一歳の冬。グリの街の厳しい冬のなかでも、特にたくさんの雪が降った次の朝のことだった。
「クラモリ、クラモリ!」
「どうしたの? ネム?」
ネムが息を切らして部屋に入ってきた。普段の落ち着いた彼女からはあまり想像できない姿だ。
「物置で……変な音がするの」
「物置って……あの、閉じられたままの? 変な音って?」
「わかんない。でも、なにか、人の声のような……」
私は急いでその使われていない物置に向かった。オールドホームの中庭の片隅にあるその物置は、雪に覆われて、静まり返っていた。いつから使われていないのかはもう分からない。入り口も窓も、すべて木の板が打ちつけられ、誰も入れないようになっていた。
「ネム、くぎ抜きか何か、無い?」
「分かった。ちょっと待ってて!」
ネムが駆け出すのを見届けて、私はその窓に耳を近づけた。コトリ、と小さな物音が確かにした。さらに耳をそばだてると、小さな息づかいが聞こえた。
「いったい……誰が……」
「クラモリ、あったよ!」
手渡されたくぎ抜きに釘をひっかけ、ありったけの力で引っ張る。釘はさび付いていてなかなか抜けなかった。
何度も引っ張って、ようやく一枚の板が外れた。息をついている私の代わりに、ネムが中を覗き込む。
「ひっ」
と、小さく息を吸い込むような声を上げ、ネムが私に抱きついた。
改めて中を覗くと、そこにいたのは、一人の少女だった。白い服を着ている。でも、その服のいたるところが赤黒く染まっていた。あれは……血?
そして。その背中には一対の血まみれの羽が、ついていた。ときどき、ひくんと痙攣したかのように動く。そのたびに痛みが走るのだろうか、少女が小さな声を上げる。
灰羽、だ。
部屋の奥には割れた繭も見える。
私は急いで他の板も外し、そのままガラスが割れたままの窓から部屋の中に飛び込んだ。
少女を抱き上げる。少女は気を失っているようだった。
「はっ!?」
血まみれの羽を見たとき、私はそのことに気がついた。
黒い羽。
灰羽、の名からはほど遠い、黒い羽を、少女は持っていた。
「ぅ……」
抱き上げられたせいだろうか、少女は意識を取り戻したようだった。ゆっくりと少女の目が開いてゆく。
私はその少女を抱きしめた。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
一人にしてしまった。一人で、繭の外に出て、羽の生える苦しみに耐え、それでも誰もいなくて……。どんなにつらかったことだろう。
一人でいることの辛さは分かっているはずなのに……。
私の腕の中で、少女は再び眠りに落ちていった。
☆
私とネムはその子を私の部屋に運び込んで、ベッドに寝かせた。
「ネムはお湯を沸かして。あと、タオル、どこにあったかしら?」
「タオルなら私が持ってくるわ。……ねぇ、クラモリ、服に血がついてるわよ?」
「え? ああ。大丈夫よ」
「でも、すぐ洗わないと染みになっちゃう」
「服は洗えばなんとかなるし、どうしてもダメなら買い換えればいいわ。それより、今はあの子のほうが大変なの。わかるわね?」
「うん……」
ネムが脱衣所にタオルを取りに行ったの見届けて、私は、少女の着ていた服の背中の紐をほどき、背中を出した。
「血が固まり始めてる……早く落とさないと」
長い黒髪にもあちこち、血がこびりついていた。こうして明るいところで見ると、その髪がとても綺麗なことに私は気がついた。
「なんだか……あのひとみたい」
私は長い髪を一房手に取り、その髪に口づけようとして……。
血の匂いが鼻を突いた。
「っ!」
慌ててその髪から手を離す。
「何やってるのよ、私は……」
この子はあのひとの代わりじゃないのに。しかも、こんな生まれたばかりの子に……。
「クラモリ、タオル持ってきたわ」
そう言ってネムが来てくれたのが、私にはほんの少し救いだった。
タオルで体を拭き、水と薬で羽と髪に付いた血と脂を丁寧に落とした。でも……羽の色は、やはり黒いままだった。
今は私の部屋のベッドの上で、どこか上の空といった感じで座っている。年はネムと同じくらいだろうか。長いまっすぐな黒髪と同じように黒い瞳が印象的な子だ。
私は鋳型から光輪を取り出すと、少女の頭の上に乗せた。少女は不安げな顔をしていたが、私やネムの頭の上を見て、それが良くないものではないと感じたらしい。すぐに落ち着いてくれた。
「元気になって良かった……」
少女の視線と同じ高さになるように背をかがめて、私は言った。いろいろあったが、まずは挨拶からすべきだろう。
「私はクラモリ。ほら、ネム、挨拶は」
私は後ろにいるネムを促した。だが、ネムは少女の方を見ようともしない。ネムは目線だけをちらりと少女の方に向けると、どこかへと走り出してしまった。
「あっ、ネム……」
子供たちにはいつも優しかったあの子が、あんな態度をとったことが、私には信じられなかった。
- to be continued -