マリア様がみてる SS
虹の向こうに

 最初は、ほんの些細なことだったと思う。
 梅雨も明けようかというある日の放課後、私たちは学園祭の準備資料作りに追われていた。そんなとき、紅薔薇さまこと蓉子が私に話しかけてきた。
「白薔薇さま、この間頼んでおいた書類、どうなった?」
「あ、ごめん。忘れてた」
「はぁ……。まったく……」
「だから、ごめんってば」
「ごめんで済んだら警察は要らないわよ」
 むぅ、今日の紅薔薇さまは何か不機嫌のようだ。
「志摩子〜、悪い、ちょっと手伝ってくれない?」
「志摩子には関係ないでしょう?」
「いいじゃん。一人でやるより二人でやったほうが早いし」
「志摩子には別の仕事を頼んでるの」
 なんだい、そりゃ。
「いいの? 誰の妹でも無い志摩子をコキ使って」
「コキ使ってなんかないわよ。ただ一人働いてくれない人がいるから、仕方なく頼んでるんじゃない」
 むか。要するに私を悪者にしたいわけか。そりゃ、仕事しなかったのは悪かったけどさ。
 私は無言で蓉子を睨んだ。蓉子も睨み返してくる。
「あ、あの、白薔薇さま、私なら大丈夫ですから……」
「志摩子は黙ってて」
 蓉子を睨みながら反射的にそう返してしまう。
「はいはい。それまで。にらめっこしてる暇があったら仕事しなさいね、二人とも」
 手を叩きながらそう言ったのは江利子だった。相変わらず無気力そうな口ぶりだが、目には非難の色がありありと浮かんでいる。
「そうね……こんなことしてる場合じゃなかったわね」
「そうね」
 それから私も蓉子も、仕事に取り掛かった。二人とも終始無言だったせいか、志摩子はもとより令や由乃ちゃんまで落ち着かない様子だったが、そんなところまで気を回す余裕は無かった。
「よし、と」
 私は書類を書き終えて、身体をほぐすために立ち上がった。がたん、と椅子がずれる音。と、同時にもう一つ、がたん、と椅子がずれる音がした。
「え?」
 前を見ると。蓉子が立ち上がっているではないか。どうやら彼女も自分の仕事が終わったところらしい。しかし……なんだって、よりによって同じタイミングで立ち上がるわけ?
 一瞬のためらいのあと、蓉子は
「悪いけど先に失礼するわね。できあがった書類はここに置いておくから」
 そう言って、会議室から出ていった。バタン! いつもより、ほんのちょっとだけ強い感じで扉が閉められた。
「……んじゃ、私も退散するよ。書類の方はできてるから。悪かったね。変なとこ見せちゃって」
 私は鞄を取り、扉に向った。その時、志摩子が私に話しかけてきた。
「あの、白薔薇さま……」
「ん?」
「……喧嘩は……よく、ないです」
「分かってるって。なーに、紅薔薇さまとの喧嘩はよくある事だから、心配しないで」
 そう言って志摩子の頭を軽くなでる。志摩子の髪は柔らかくて気持ちいいから好きだ。
「では、みんな、ごきげんよう」
 後ろ手でパタンと扉を閉める。ゆっくりと階段を降り、薔薇の館の玄関を開けた。
 思ってた通り、蓉子はもうそこにはいなかった。
「……ふぅ」
 たしかに蓉子との喧嘩は何度もあったけど……。今回は……長引くかもしれない。そんな気がしてならなかった。
「雨……来そうだな」
 空は、どんよりと灰色の雲に覆われていた。

「はぁ……」
 薔薇の館を出て、私は溜息をついた。いくら私でもあの空気はつらい。特に、その空気を作った原因が自分にあるならなおさらだ。
「だいたい……聖が悪いのよっ」
 まわりに誰もいない事を確認して、悪態をつく。
 今日はあの日でもともと体調は良くないのだ。体の不調は心にも悪影響を及ぼす。
「少しはこっちのこと察してくれても……いいじゃない」
 また溜息が出そうになるのをこらえて、私はバス停に向けて歩き出した。多分、聖もすぐ出てくるだろう。そう思うと、自然と早足になる。今、聖の顔を見たら、何を言い出すか自分でも分からないから。
 歩くたびに少しお腹が痛む。ようやくバス停について、バスが来た頃には私はすっかり疲れ果てていた。
「雨……降るのかしら」
 バスの窓から見る空は、どんよりと灰色の雲に覆われていた。

 次の日も空はどんよりと曇っていた。降水確率は午後から80%。雨はキライじゃないけど、こういう落ち込んでる日に降るのは勘弁して欲しい。
「っていうか、まだ落ち込んでるのか、私は……」
 つぶやいて、自分の台詞に思わず苦笑する。
 気がつけばバスはリリアンに到着していた。バスを降り、学校に向かって歩く。正門をくぐり、マリア像の前に着いたとき、丁度朝の祈りをささげ終わった彼女と目が合った。
「……ごきげんよう、紅薔薇さま」
「……ごきげんよう、白薔薇さま」
 それだけ言うと、蓉子はきびすを返し、校舎の方へと歩いていった。どうやら、挨拶とは裏腹にまだご機嫌はよろしくないらしい。
「……ご機嫌よろしくないのは私もか」
 それでもいつもどおり、マリア像の前で手を合わせる。もっとも、神様なんて信じちゃいない私は、何を願うこともしなかったけれど。

「……ごきげんよう、紅薔薇さま」
「……ごきげんよう、白薔薇さま」
 私は聖と挨拶だけ済ませると、すぐに校舎に向けて歩き出した。まだ聖と顔を合わせる自信がない。
 一晩寝て起きれば気も晴れるだろうと思ってたけど……甘かった。
 なんで聖の事を考えるとこんなにイライラするんだろう。自分でもよく分からない。いっそ謝ったほうがすっきりするのかもしれないけど、謝る理由が見つからなかった。
「そうよっ。聖がちゃんと仕事しないから怒ってるのよ、私は」
 それがたとえ今に始まった事ではないとしても。
 自分の気持ちの整理が付かない事がこんなに気持ち悪い事だとは思わなかった。

 昼過ぎから降り始めた雨は、放課後になってさらに強まっていた。
「あ〜ぁ、やっぱり降ってきちゃったか……」
 玄関でしばらく様子をうかがっていたが、止む気配はない。
「ごきげんよう、白薔薇さま」
「あら、志摩子。どうしたの?」
「学級日誌を書いてたら遅くなってしまって。日直だったんですよ、今日。白薔薇さまは?」
「ん、止まないかな〜、って思って少し待ってたんだけど、だめみたい。どう? 一緒に帰る?」
「はい!」
 心から嬉しそうに微笑む志摩子を見ると、こちらも嬉しくなる。
「あれ? あちらは紅薔薇さま……?」
「え?」
 志摩子の視線を追って振り向くと、そこには確かに蓉子がいた。なぜか傘を持っていない。
「紅薔薇さま。帰り? なら一緒に帰ろうよ」
 少し大きな声で蓉子を呼ぶ。(考えられない事だが!)傘を忘れたのなら、私か志摩子の傘に一緒に入っていけばいい、そう思った。
 だが、蓉子はこちらを見ると、踵を返して走り出して行った。傘もささずに。
「蓉子っ!?」
 だが私の叫び声は、雨に遮られて蓉子に届く事はなかった。
「どうしたんでしょう、紅薔薇さま……」
「私が聞きたいよ……」
 私と志摩子は、傘を手にしたまましばらく蓉子が走って行ったほうを見つめていた。蓉子が泣いているように見えたのは気のせいだろうか。

「紅薔薇さま。帰り? なら一緒に帰ろうよ」
 少し離れたところからからそう呼ぶ声が聞こえた。あれは聖?
 不覚にも傘を忘れた私に、その声は天の助けに聞こえた。雨に濡れずに済むし、聖と仲直りできるチャンスかもしれない。
 声のしたほうを振り向く。そこにいたのは聖と……
「志摩子……」
 聖は、朝より元気そうな顔をしていた。そして、志摩子も白薔薇さまに会えて嬉しい、そんな顔を──。
 次の瞬間、私はバス停に向けて走り出していた。
「蓉子っ!?」
 聖が私を呼び止める声が聞こえる。だけど、私を追いかけては来ない。声を振り切るように私は走った。強い雨が体中にあたる。でもそれが好都合だった。これなら泣いている顔を見られる事は無い──。
 泣いてる? 私が?
 なんで私が泣くんだろう。聖の顔を見ただけで。志摩子と一緒に笑ってる姿を見ただけで。
 ……気づいてしまった。
 私は嫉妬している。志摩子に。聖にあんな笑顔をさせる、彼女に。
 びしょ濡れになったままバス停にたどり着いたとき、ちょうどバスが到着した。そのままバスに飛び乗る。
「馬鹿みたい」
 ほんと、馬鹿だ。志摩子を山百合会に連れ込んだのは私なのに。もし志摩子が聖の妹になったら。聖はその笑顔を妹に向けるのだろう。当然だ。でも、今の私はそれを受け入れられない……。
 栞さんのときもそうだった。結局私は何もできなかった。そして、今も……。
「あ、あの、紅薔薇さま。よろしければこれでお体を……」
 顔を上げると、一人の生徒がタオルを私に差し出していた。それで今の状況を思いだす。
「ありがとう」
 私はその好意をありがたく受け取った。このままでは風邪を引きかねないし、なにより泣き顔を他人に見られたくなかった。

 翌日。蓉子が学校を休んだ。雨は昨日から降り続いている。
「風邪だって。紅薔薇さまの家から連絡があったわ」
「そう……」
 私は廊下で、そのことを黄薔薇さまから聞いた。うちには連絡は無かった。まだ避けられているのだろうか。
「あなたねぇ……。まだ喧嘩してるの?」
「え?」
「紅薔薇さまと。なんか思い当たるフシがあるからそんな顔してるんじゃないの?」
「そんなひどい顔……してた?」
「ええ。白薔薇さまファンが見たら泣くわね」
「そう……」
 江利子の冗談もうまく切り返せない。自分でも重症だと思う。
「喧嘩って言うか……なんか……避けられてて」
「まったく……あなたたちって、そういうところよく似ているわよね」
「似てる?」
 私と蓉子が似てるなんて意見は初めて聞いた。
「そう。意地っ張りで、そのくせ怖がり。いつまでもうじうじしちゃって、見てるこっちのほうがイライラするわ」
「なら見なきゃいいじゃない」
「白薔薇さま、私の立場分かってる? 嫌でも見える場所にいるのよ。それに……」
「それに?」
「見てないと気になるのよ、あなたたちは」
「…………」
「今日は土曜日だし、雨は午後から止むみたいだから、お見舞い、行ったら?」
「お見舞い……」
 そりゃ、行きたいけど……今、私が行っていいんだろうか。
「んで、とっとと謝ってきちゃいなさい。月曜日になっても今のままだったら怒るわよ」
「なんで……? なんで今日に限ってそんなに──」
 こういうとき、江利子の性格なら高見の見物しててもおかしくないはずなのに。
「言ったでしょ、イライラするって」
 その時、次の授業の開始を告げるチャイムが鳴った。
「じゃあね。ちゃんとお見舞い行くのよ。白薔薇さまと紅薔薇さまのファンとしては今みたいな姿、見たくないんだから」
  そう言うと、江利子はやや早足で自分の教室に戻って行った。
「白薔薇さまと紅薔薇さまのファン……?」
 まったく、江利子の考える事はよく分からない。でも、そう言われて悪い気がしないのは事実だった。
「やばっ、もう先生来るじゃん」
 私も急ぎ足で教室に戻った。雨はまだ降り続いてたけど、江利子と話したおかげで、ほんの少し、気が晴れた気がした。

「37度2分……」
 お昼頃、私は体温計を見ながらつぶやいた。夜から降り続いていた雨はまだ降っていたけど、少しは小降りになったようだ。
 朝、熱さましを飲んだせいで、熱はとりあえず下がったらしい。だが、まだ完全には直ってないのが自分でも分かる。パジャマも下着も、汗を吸っていて気持ち悪い。
 服を脱いで、タオルで体中の汗を拭き、新しい服に着替えると、私は昼食を摂りに台所へと向かった。食欲はあまりないが、おかゆぐらいなら食べられるだろう。
 父も母も仕事に出ているから、家にいるのは私一人だった。そのことには慣れてるけれど、こういうときは誰かにいて欲しいと思う。
 昨日のうちに買ってあったレトルトのおかゆを電子レンジで温める。できあがったおかゆは少し熱すぎて、少しづつ冷ましながら口に運んだ。
 こんな時、聖がいてくれたら……。
『ほ〜ら、蓉子、熱いから気をつけてね』
『ちょ、ちょっと、聖……自分で食べられるわよ……』
『だ〜め。蓉子は病人なんだから。ほら、あーん、して』
『もう……分かったから……』

「……馬鹿じゃないの!!」
 スプーンを握ったままの手をテーブルに思いっきり叩きつける。ダン!! と音が響いたが、それを聞いたのは私一人だった。叩きつけた手が痛い。
 妄想で自分を慰めるぐらいなら、ちゃんと会いに行けばいいのだ。ちゃんと話せばいいのだ。ちゃんと自分の気持ちを伝えれば──。それは今までだってできたはずなのに。
「ほんと……馬鹿みたい……」
 涙がこぼれるのを止められない。いつから私はこんなに弱くなったのだろう。
「会いたい……」
 聖に、会いたい。

 授業が終わって帰る頃、雨が少し小降りになってきた。
「午後には止むって言ってたっけ……」
 黄薔薇さまのセリフを思いだす。
「お見舞い、か……」
 リリアンからバスに乗ってM駅へ。そしていつもの通り電車に乗りこむ。
 蓉子の家は、私の降りる駅のひとつ前だったよな……。
「電車が来なければいいのに……」
 だが、電車は時刻表どおりに動いているようだった。事故のアナウンスなども無い。
 電車が来なければ……お見舞いに行けなくても、言い訳ができる。蓉子に会うのが……怖かった。もし、また拒絶されたら……。本気で立ち直れなくなるかもしれない。
 半年前の事が頭をよぎる。
 栞。
 あんな思いは、もう、二度としたくない。蓉子まで私の許をを去ったら、私は……。
「まもなく電車が到着します。白線の内側に……」
 駅のアナウンスが思考を途切れさせる。ふと外を見ると、雨はもうほとんど止んでいるようだった。傘を差していない人を時々見かける。
 電車のドアが開き、人が吐き出される。そして、空いた所に吸い込まれていく。私もその流れにそって電車に乗った。。電車は丁度帰宅する学生たちでそこそこ混んでいたので、私はドアにもたれかかるようにして立っていることにした。

 電車がゆっくりと速度を落とした。もうすぐ、蓉子の降りる駅だ。雨はもうすっかり上がって、晴れ間がのぞいている。窓の外は見慣れた景色。
 ……いや、見慣れないものが、あった。
「虹だぁ……」
 晴れ上がった空に、大きな七色の弧がかかっていた。
 キキーーッ、というブレーキの音とともに電車が止まり、ドアが開いた。私は自然と足を出し、電車を降りた。
 お見舞いとかそう言う事は考えてなかった。ただ、蓉子と一緒にあの虹を見たい──ただそれだけ。
 足が自然と早まる。改札をくぐり抜けると、すぐに蓉子の家へ向かって走り出していた。
 蓉子に、会いたい。ただそれだけ。

「ん……」
 目が覚めたとき、私はベッドの上にいた。
「ご飯を食べて、薬を飲んで……寝ちゃってたのか……」
 体が軽く汗ばんでいる。窓から差し込む光がまぶしくて、私は目を細めた。
「雨、上がったんだ……」
 空は、夏を告げるかのように青く澄み渡っていた。そして、その空を横切る七色の弧。
「綺麗……」
 この虹を聖と一緒に見たい。そう思ったその時、インターホンのチャイムが鳴った。そして、一番聞きたかったあの人の声が私の名前を呼ぶのが──。

- fin -

あとがき


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