オリジナル小説
Road to anywhere

1話

 夕暮れの校舎に、下校時間を告げるチャイムが鳴り響く。歩美は、何とはなしに生徒用の駐輪場へと向かっていた。
 好奇心旺盛な歩美にとって、四月に入学したばかりの高校は、興味を引くものでいっぱい。駐輪場は、まだ歩美が行ったことの無い場所だった。電車通学の歩美にとっては無縁の場所。そんな場所がかえって歩美の興味を引くのだった。
「へー、ここが駐輪場かー」
 コンクリートの地面に、プレハブの屋根。その下に、所狭しと自転車が詰まっている。特に珍しくもない、どこにでもあるような駐輪場だった。
「学費高いんだから、もうちょっと立派なものでもいい気がするんだけどなー」
 そんなことを思いながら並んだ自転車を眺めていると、その中に一台、妙な形をした自転車が置いてあるのが目についた。
 女子校ということもあり、多くの自転車は、前に籠のついた、いわゆるママチャリだ。でも、その自転車は違っていた。前に籠は無い。サドルとハンドルを結ぶラインをチューブが結んでいて、乗りにくそうだ。そして、なにより、前方に出ている、下方に湾曲したハンドル。
「……競輪?」
 真っ先に思いついたのが、競輪用の自転車。もちろん、競輪なんて見たことも賭けたことも無かったけど、何となく似ているような気がする。
「どーやって乗るのかしら?」
 歩美がその自転車をもっとよく見ようと近づいたときだった。
「さわらないで!」
 鋭い声のした方に歩美は振り向いた。背中まで伸ばした髪がふわっと広がる。
 歩美の視線の先では、ショートヘアの生徒が歩美のほうに向かって歩いてくる所だった。ただ、なにやら、おかしな歩き方をしている。ペンギンのようでかわいらしい……と言ったら怒られるだろうか。
 彼女は、カツカツと硬い足音を立てながら歩美と自転車の側まで来ると、
「いじってないでしょうね?」
と、もう一度問いかけてきた。
 歩美と改めてその子のことをじっと見た。背は歩美より十センチほど低い、百六十センチぐらいだろうか。スレンダーな体型で、かなり短いショートヘア。制服のスカートを履いていなかったら、美少年でも通じるかもしれない。
 こちらを睨む目つきが怖いのだけは勘弁してほしかったけれど。
「触ってないわよ。これ、あなたの?」
「そうよ。菊地遥、ってシール貼ってあるでしょ」
 歩美が自転車の方に目をやると、フレームの隅に、学校指定のシールが貼ってあった。「1−C 菊地遥」と書いてある。
「C組か。わたしはA組の城咲歩美。よろしくっ」
「……よろしく」
 遥と名乗った少女は、ほとんど表情を変えずに言った。お世辞にも、あまり友好的とは言えない。
「どいて」
「え、あ、ごめん」
 遥はカバンから鍵を取り出し、自転車を固定していたワイヤー錠を外した。そして、自転車を引っ張り出すと、フレームに掛けてあったヘルメットを被った。なかなか様になっている。
「……なによ?」
 一部始終を見ていた歩美の視線が気になったのか、遥はいっそうぶっきらぼうな口調で尋ねた。
 けれど、歩美はそんな口調などお構いなしに、
「ね、それ乗せて」
と言った。
「嫌よ」
「そんな〜、ちょっとぐらいいいじゃん。ね?」
「嫌」
 遥の口調はあいかわらず冷たいままだ。
「なんで? なんで?」
「倒されて、傷でもつけられたら嫌だもの」
 だけど歩美は、そう言われて、はいそうですか、と簡単に引き下がる性格ではなかった。
「大丈夫よ。自転車なら、買い物に行くのにほぼ毎日乗ってるもん」
「……ロードバイクに乗ったことは?」
「ロードバイク?」
 聞いたことの無い名前に戸惑っていると、遥が、自転車のサドルをぽんぽんと叩いて言った。
「こういう自転車のこと。舗装路を、高速で、長距離走るために作られた、レースのための機体」
「でも、所詮自転車でしょー?」
 ぴくり、と遥のこめかみがひくついたのは気のせいだろうか。
「……いいわ。お望みどおり、乗せてあげる」
 ついてきて、と手振りで示す遥。歩美はその後ろをニコニコしながらついていく。
 少し歩いてたどり着いた場所は、学校の裏庭。放課後のこの時間、周りに人はいない。地面は硬く踏みしめられた土で、石や砂などは敷かれていなかった。
「このあたりでいいかな……。じゃ、まず、こうやってトップチューブ跨いで。サドルには座らなくていいから」
 ひらりと足を上げ、手本を見せる遥。
「え、えっと……それやると、パンツ、見えない?」
「乗りたいって言ったのはあなたでしょ? しかも、わざわざ人気の少ないところを選んであげたのよ。それとも、衆人環視のほうがいい?」
「いえ、ここでいいです……」
 ハンドルを両手で持って、自転車の横に立つ。少し躊躇ったあと、歩美は勢いよく、体を倒して脚を上げた。
 すたっ。右脚が地面につく。
「こ、これでいいの?」
 振り返り、後ろにいる遥に問いかける。
 その遥の返事は
「……オレンジ」
という物だった。
「へっ?」
 歩美は、一瞬、何を言われたのか分からなくなる。
 そして、自分と遥の位置関係、そして、今朝選んできた、普段は見えない部位の着衣の色を思い出し、顔を真っ赤にさせた。
「なっ、何見てるのよ!」
「ふふふ。見事な脚上げだったわよ」
「……変態」
「ちなみに、降りるときも同じ動作になるからね」
「……変態」
 ニヤニヤと笑う遥の表情がムカつくが、ここは我慢するしかない。
「で、次はどうするの?」
 歩美の問いかけに、遥が近づいてくる。
「まず、手はこのブラケット──黒い部分を握って。そう。で前にあるのがブレーキレバー。右が前、左が後ろ。握ってみて」
 人差し指と親指でレバーを握ると、ぐいっとブレーキシューがタイヤを押す感覚が伝わってきた。
「そう。それがブレーキだから。忘れないで」
「なんか心もとないんだけど……。こんなので止まるの?」
「握力が弱すぎるとか無ければ大丈夫よ」
 この間やった身体能力測定では、握力は人並みにあったはず。
「じゃあ、片足をペダルに乗せて」
 とにかく、言われた通りにペダルに左足を乗せる。
「なんか、でこぼこしてるんだけど」
「ビンディングペダルだからね。本来は、普通の靴で乗る物じゃないの」
 そう言うと、遥は振り返って後ろに足を上げて、靴の裏底を歩美に向けて見せた。靴のつま先側に、三角形の部品がついているのが見える。
「この部品──クリート、って言うんだけどね──が、そのペダルにカチッとはまる仕組みになってるの。スキー靴とスキー板みたいな感じ」
「なんでそんな物が……」
「これも、人の力を引き出すための工夫なの。さ、ペダルの位置はいい?」
「う、うん。大丈夫だと思う」
 遙はそれを聞くと、歩美の後ろに回って、サドルを両手で支えた。
「じゃ、次は、サドルに座ってみましょうか。手はレバーを握ったまま。そう、腰を後ろに……」
 言われたとおり、ハンドルを握ったまま、腰を後ろに下げる。お尻にサドルの先端が当たった所で、少し腰を上げて、サドルの上に腰掛ける。
「あ、あの……遥さん?」
「何?」
「ハンドルが、椅子より低い気がするんですけど……」
 遙が後ろで支えていてくれるからいいものの、腕の方に体重が乗っていて、かなり、きつい。
「当然よ」
「それに、ハンドルがすっごく遠い気がするんですけど……」
「あなたの身長から考えたら、まだ近いぐらいだわ」
 普段取ったことのない体勢に、歩美は戸惑っていた。
「こんな格好で、本当に走れるの?」
「このほうが、人の力をフルに使えるのよ。ママチャリみたいな座った体勢では、筋肉を十分に使えないの」
(本当かなあ……)
 このキツイ体勢からはとても信じられない。
「じゃ、漕いでみようか」
「よ、よし」
 歩美は、ゆっくりと、ペダルに乗せた右足に力を入れた。
 ゆっくりとタイヤが回りだす。ちょっと体勢は苦しいけれど、やっぱりただの自転車じゃない。そう思った歩美は、少しペダルを漕ぐ足に力を入れた。スピードが上がる。
(えっ……?)
 途端に、歩美を乗せた自転車は、歩美が思っている以上にスピードを上げた。ペダルを漕ぐ足はほとんど重さを感じず、勢い、普段以上の速度でペダルが回る。そして、自転車はさらにスピードを上げた。
(え、えっと、ブレーキは……)
 歩美は、咄嗟にペダルを回す足を止めて、ブレーキレバーを引いた。リムとブレーキシューが擦れる小さな音がして、自転車はゆっくりと速度を落とした。
 完全に自転車が止まり、地面に足をついた時には、歩美は大きく肩で息をしていた。
「どう? 感想は。それでもまだ、『所詮自転車』なんて言える?」
 だが、遙の問いかけに歩美は答えず、再びペダルに足を乗せて走り出した。
「ちょ、ちょっと!」
 歩美の長い髪が風にたなびく。
 裏庭をしばらく走り回った歩美は、遙の目の前で自転車を止めた。
「すごい! すごいよ、コレ!」
「えっ?」
「ねえ、これどこで売ってるの! いくらぐらいするの! ねえねえ!!」
「え……自転車屋だけど……」
 目をこれでもかと輝かせながら問いつめる歩美に、遙はたじろいだ。
「よーし、今からそこに案内しなさい! 行くわよ!」
「ちょ、ちょっと待ってよ! 落ち着いて!」
 遥は、歩美をなだめると、
「とりあえず、そこから降りてくれない? まさかそれに乗っていくつもりじゃないでしょ?」
と、自転車から降りるよう促した。
「あ、ごめん」
 歩美は再びひらりと脚を上げて、自転車から降りると、それを遥に引き渡した。
「私の行きつけの自転車屋なら、上り方向に三駅ほど先だけど。本当に行くの?」
「行く行く!」
 遥は軽いため息をつくと、
「じゃ、先に行ってるから。改札前で待ち合わせ、ってことで」
 そう言って、ひらりと脚を上げて、自転車に跨った。
「あー、ずるい!」
 それを見た歩美が、思わず声を上げる。
「ず、ずるい、って何が?」
「遥ってば、スパッツ履いてるじゃない! あたしのパンツはしっかり見たくせに!」
 遥は、先ほどより深いため息をついた。
「それ、ずるい事なの?」
「だって、わたしの見られ損じゃない」
「それを分かって、乗ったんでしょ」
 そう言われると、歩美に返す言葉は無い。
「それと、これ、スパッツじゃなくてレーサーパンツ。おしりの所にパットが入ってて、長時間乗っていても痛くならないようになってるの」
「そんなのあるんだ……」
「ウェアもお店に売ってるから。じゃ、先に行ってるわね」
 遥はそう言うと、自転車を漕ぎ出し、走り出した。
「あ、待ちなさいよー!」
 後ろから、歩美の叫び声が聞こえる。
 駅まで一緒に行っても良かったかな、と思いつつも、遥は慣れた道を、滑るように走り抜けていった。
「それにしても……なんで初対面で『遥』って呼び捨てにしてるのよ、あの人は」
 ペダルを回す足が、すこし速くなった。

- 2話に続く -


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