オリジナル小説
Road to anywhere

2話

「えー、なんで先にいるの?」
 駅に先に着いていたのは、自転車に乗っていた遥のほうだった。
「学校からここまでは、走りやすい道だからよ。それに、学校から駅までって、少し歩くじゃない」
「うーん、それでもすごいわ……。ところで、その、自転車屋さんって、どこなの?」
 遥は、目的地の方角を指さしながら
「あっちのほう。歩いて五分くらいよ」
そう言って、自転車を押して歩き出す。
 しばらくして、たどり着いたその店先には、何台ものロードバイクが並べられていた。
「自転車屋、っていうからどんなのかと思ったけど、やっぱり普通のお店とは違うのね」
「ここは、スポーツ車専門店だからね」
 ドアを開けて店内に入ると、いらっしゃいませ、という店員の声が飛んでくる。
 店内にもたくさんの自転車や、その部品と思われるものが数多く陳列されていて、それらを眺めたり手に取ったりしている客の姿も見受けられた。客の大半は大人の男性で、高校の制服を着ているのは、遥と歩美だけだ。
 歩美はさっそく、並べてある自転車を見回して、次の瞬間、「げ」という、カエルが潰されたような声を出した。
「なんで、十万円とか二十万円とかするの?」
「それだけ手間暇かかってるのよ。職人さんの手作りだったり、高価な素材を使ってたり」
 遥の説明にも、歩美は不満げな顔だ。
「普通の自転車なら一万円で買えるのに」
「ママチャリが普通乗用車だとしたら、ロードバイクってのはレーシングカーみたいな物なのよ。さっき乗ったとき、全然違ったでしょ?」
「まあ、確かに……」
 歩美は、もう一度並んでいるロードバイクを見渡した。その視線が、ある一点で止まる。
「どうしたの?」
「これ、綺麗……」
 歩美の視線の先を見ると、そこには一台のロードバイクが置いてあった。白と黒と青に塗り分けられた塗装が目を引く。
「決めた! これにするわ」
「って、ちょっとちょっと! 値段見て言ってるの?」
 遥は驚いて、吊るされていた値札を指す。
「一、十、百、千、万……五十万!?」
 さすがに歩美も驚いた顔をしている。
 歩美はしばらく値札とにらめっこをしたあと、顔を上げた。
「ねえ、遥」
「なに?」
「さっきのレーサーパンツとか、ヘルメットとかっていくらするの?」
「そうねえ、一式そろえれば二〜三万ぐらいかな。それも売ってるわよ。見ていく?」
「ううん、とりあえずいいや。帰ろ」
 歩美はどうやら値段を見てあきらめたらしい。
 店を出て、駅に向かおうとしたところで、歩美は遥に声を掛けた。
「あ、そうだ、ケー番とメアド、教えてよ」
「いいけど」
 遥は自分のケータイを取り出して、電話番号とメールアドレスを伝えた。歩美も遥の電話に番号とアドレスを送信する。
「じゃあね、遥」
「う、うん。じゃあ」
 歩美はそのまま駅へと向かい歩き出す。
 なんとなく居心地の悪い思いをしながらも、遥は家路へとペダルを漕ぎ出した。

 それからしばらくは、遥にとって何事も無く過ぎたのだが。
 日曜日の朝。いつものようにトレーニングに出かけるため、レーパンにサイクリングジャージを着込んだとき、遥のケータイに電話が掛かってきた。発信元は、城咲歩美。
『おっはよー! 遥、今日、ヒマ?』
「うーん、まあ、いつも通りトレーニングに出かけようと思ってたところだけど」
『じゃさ、うち来ない? 見せたい物があるんだけど』
「いや、これからトレーニングに」
『そんなのいいからさー!』
「無茶言わないでよ……。だいたい、あなたの家、どこにあるか知らないわよ」
『あー、そーだっけ。じゃ、メールで地図送るわー。じゃねー』
 がちゃり、と、掛かってきたときと同様、一方的に電話が切られる。
「なんなのよ……」
 手に持ったケータイをしげしげと眺めていると、メールの着信音が響いた。
 タイトル:ウチの地図
 本文:よろしく〜。待ってるよ(笑っている顔文字)
 添付は二枚。一枚は、最寄り駅からの道のりが分かる地図、そしてもう一枚、画像ファイル。
「何かしら?」
 ぽちぽちとボタンを押してファイルを開くと、出てきたのは、一枚の写真。写っているのは──先日、自転車屋で見た、あの青と白と黒のロードバイクだった。
「ええっ! あれ買ったの?」
 こんな写真を見せられては、行かないわけにもいかない。遥は、ヘルメットとサングラスを身につけ、シューズを履いて自分のロードバイクに乗ると、いつものトレーニングコースとは違う方向へと自転車を走らせた。

「えーと、城崎……。ここか」
 門扉にある表札には、間違いなく「城崎」と書いてある。
「それにしても、大きい家ね……」
 遥の家と比べると、建物だけで二倍はありそうだ。さらに、広い庭もある。
 その庭では、一人の女性が花壇で水遣りをしているのが見えた。
「あら、うちに何かご用?」
 女性は遥に気づくと、手にじょうろを持ったまま、遥のほうへ近づいてきた。三十代後半から四十台前半、といったところだろうか。体は細いが、どこかおっとりした、優しげな雰囲気をまとった人だった。
「あ、えっと、菊地遥、と言います。歩美さんはいらっしゃいますか?」
「あら、歩美のお友達?」
「ええ、まあ……」
 友達と言っていいのか分からなくて、遥の返事が曖昧になる。
 だが、目の前の女性はそのことには気づかなかったようで、家のほうに顔を向けると、
「歩美〜、お友達よ〜! 遥ちゃんって子〜!」
と、その体つきからは想像もつかないような大声で、歩美を呼んだ。
 十五秒ほど間があいて、玄関のドアが勢いよく開かれる。
「おかあさん! 庭から大声で呼ぶの、やめてって言ってるでしょ!」
「だって、この方が早いじゃない」
「まわりに丸聞こえじゃない!」
 そう叫ぶ歩美の声もかなりの大声だったが。
「それより、ほら、お友達来てるわよ」
 歩美の母が、遥のほうに視線を投げる。つられて歩美もそちらに顔を向けると、そこには何とも言えない表情で二人を見ている遥がいた。
「い、いらっしゃい……」
「ど、どうも……」
 歩美は門を開けると、遥を招き入れる。サイクルジャージにレーパン、という、いかにも自転車乗り、といった出で立ちをしていた。遥も似たような格好だが。
「あ、自転車はその辺に置いちゃっていいから」
 そう言うと、歩美は、庭の片隅にあるガレージに遥を案内した。
「あの人、お母さん?」
「そーなのよー。まったく、どこからあんな声出すんだか……。もともと、劇団で舞台に上がっていた人でね」
 それなら、あの声の大きさも頷ける。
「ちょっと待っててね」
 歩美はガレージの中から、新品の自転車を引っ張り出してきた。メールに付いていた写真と同じ物だ。
「これ……本当に買ったの?」
「ええ。ま、親に頼み込んだんだけどね」
「お金持ちのお嬢様、ってのは本当だったのね……」
 遥が軽いため息をつく。
「あれ、わたしのこと、知ってたの?」
「あのあと、クラスの子に聞いた。『黙っていればお嬢様』だって」
「誰よ〜、そんなこと言ったのは!?」
 すぐにこうやって感情をあらわにするあたり、確かにお嬢様らしいとはとても言えない。握りこぶしを顔の前に持ってくるようなポーズまで取ってればなおさらだ。母親のほうがまだそれらしく思える。もっとも、それも『黙っていれば』という条件付きだけど。
「それにしても……いいなぁ」
 遥が自転車を眺めながらつぶやく。
「へへー。かっこいいでしょ?」
「まあ、それもあるけど……フルカーボンにデュラエース……いいなあ」
「えーと、なにそれ?」
 遥は先ほどよりも大きなため息をついた。
「……簡単に言うとね、高級な素材とか、部品を一杯使ってるの。実際にプロの選手が使っているような、ね」
「へえ〜、そうなんだ」
 分かっているのやら、いないのやら。
「で、なんで私を呼んだの?」
 まさか、ただ単に自慢するだけだろうか。
「ふっ、そんなの、分かりきったことじゃない」
 歩美は芝居がかった手つきで髪をかき上げると、遥を指さした。
「勝負よ!」
「はぁ?」
「だから、自転車で、わたしと、勝負」
 遥は、何を言っているのかさっぱり分からない、といった顔つきで尋ねた。
「なんで、いきなりあなたと勝負しなくちゃならないのよ」
「忘れたとは言わせないわよ。人のパンツ無断で見ておいて!」
 遥は、何のことかと少し考えたあと、「ああ」と頷いてポン、と手を打った。
「忘れてたわ」
「きーっ」
 怒る歩美を無視して、遥は話を続けた。
「まあいいわ。で、どこで勝負するのよ?」
「え、それは……」
 どうやら、あまり深く考えていなかったらしい。
「そうね……じゃ、とりあえず、サイクリングロード行ってみましょうか」
「サイクリングロード?」
「ええ。ここから近いでしょ?」
「あ、うん」
「じゃ、行きましょ」
 ガレージを出ると、春先にしては強い日射しが差し込んできた。遥は思わず目を細める。その後に続いて、歩美が自転車を押しながらガレージから出てきた。その歩美を見る遥の視線が、しばらく止まる。
「……なによ?」
「あなた、そのレーパンの下、下着はいてるでしょ?」
「あたりまえでしょ?」
「いや、普通ははかないんだけど」
 歩美の体が硬直する。
 数秒後。
「ええええええええええええええええっっっっっっっっ!?」
「ちょっと、声大きい……」
「だって、そんなんじゃ、その……」
 さすがにあからさまには言いにくいのか、歩美の声が小さくなった。
「大丈夫よ。パットが入ってるから外からは分からないし。それに、汗を素早く発散させる機能があるから。パンツはいてたら、汗でグチョグチョになっちゃうわよ」
「で、でも……」
「変に意識して恥ずかしがるか、体に直接触れる部分で気持ち悪さを実感するか、どちらにする?」
「……着替えてきます」
 歩美は、自転車を庭の塀に立てかけると、渋々と行った様子で家の中へと戻って行った。

 サイクリングロードは、歩美の家から自転車で五分ほど走ったところにある。このあたりを流れる川では一番大きな川沿いに整備されたものだ。歩美が小さかったころはよく両親や友達と一緒に遊びに来たものだったが、こうして、自転車に乗って来るのは久し振りだった。
 遥は、河の上流方向に見える橋を指しながら、「勝負」のルールを説明した。
「あそこに見える橋まで、だいたい一キロ。今、九時二五分過ぎだから、三十分きっかりにスタート。先に橋の下を通過した方が勝ち。これでいい?」
「わかったわ」
 チッチッチッチッ。時計は一秒ずつ時を刻んでいく。照りつける日射しが暑い。日焼け止めを塗ってこなかったことを歩美は少し後悔した。
「あと二分よ」
「わかってるわよ」
 遥のペダルから、カチッという、ビンディングを填める音が聞こえた。歩美もペダルの上に足を乗せる。
「ビンディングにはしなかったんだ」
 歩美の足元を見ながら、遥が尋ねる。
「お店の人に言ったら、初心者には向いてないって言われたわ」
「賢明だわ。最初は絶対立ちゴケするから」
「遥もしたの?」
「ええ。何度か転んだわ。外そうと思って外れなくて、本当に危ない目にも遭いかけたし」
「よくそれなのに付ける気になるわね」
「慣れれば平気だし、それだけ使う価値のある部品だもの。それより、あと三十秒よ」
 遥がハンドルを握る。歩美も同じようにハンドルを握った。
 時計を見る。もうすぐスタートだ。五、四、三、二、一。
「ええいっ!」
 歩美は力一杯ペダルを踏み込んだ。ゆっくりと自転車が動き出す。
 その歩美の横を、遥が乗った自転車が駆け抜けていく。
「待ちなさいよっ」
 歩美はペダルを踏む足に力を入れる。スピードが上がる。一歩一歩、踏み出すごとに加速していくのが判る。
 だんだんと遥との差が小さくなってきた。いける。そう思った瞬間。
 遥が加速した。縮まった差が、ぐいぐいと引き離されていく。
「たしか変速は……」
 歩美は、右ブレーキの内レバーを倒し、重いギアに切り換える。ガチャッという音とともに、足にかかる重さが増す。
 重くなったペダルを、さらに力を込めて踏む歩美。なのに、その差は一向に縮まらない。むしろ、広がっていく。
「なんで……」
 そして、歩美の視線の先で、遥が橋をくぐるのが見えた。

「はぁっ、はあっ、はあっ」
 歩美は遥に遅れて橋の下をくぐり抜けた。全力疾走をしたせいで、体中から汗が浮かび出て、息は完全に上がっている。一方の遥は、平然とした表情のままだった。
 歩美は自転車を止めると、サドルから降りて、荒い息のまま、遥に尋ねた。
「なんで、よ……」
「何が?」
「なんで、そんなに、涼しい顔、してんのよっ」
「技術と、体力の差よ」
 遥はあっさりと答える。歩美はその答えに納得のいかないようで、遥にさらに問いかけた。
「だって、わたしの自転車の方がいいやつなんでしょ? なのに、なんで」
「とりあえず、水、飲んだ方がいいわよ」
 言われて、歩美は自転車に積んだボトルを取り出し、ゴクゴクと中の水を飲んだ。冷たい水が、何物にも代えがたい味となって、体の中にしみこんでいく。
 歩美が、ふー、と深い息をついたのを見て、遥が話し始めた。
「たしかに自転車の性能はあなたのほうがずっと上よ。でも、それを動かすエンジンは、人の力しか無いの。それがなかったら、どんないい自転車でもなんの役にも立たないわ」
「それが、技術と体力? 体力はわかるけど技術っているの?」
「技術は大事よ。乗るときの姿勢や、ペダルの回し方、変速やブレーキのタイミング、コーナーでの体重の乗せ方……」
 聞きながら、少し頭がくらくらしてくるのを歩美は感じていた。
「そんなこといちいち考えながら走ってるの?」
「そうね。考えるというよりは、走り込んで身につける、といったほうが正しいけど」
「……なんで遥はそこまでできるの?」
 遥は、一瞬考え込むような表情をしたものの、すぐにいつもの落ち着いた顔つきで話しだした。
「そうね……いろいろあるけど、自分の能力の限界に挑めるのと、遠くへ行けるから、かな」
「遠くへ?」
「ええ。自転車があれば、体力の続く限り、どこへだって行けるわ。私は、もっと遠くを見てみたいの、自分の力で」
「遠くへ……」
 遥の言う遠く、というのがどこなのか、歩美にはよく理解できなかった。
 けれど、そう言った遥の瞳はとても輝いていて。
「ねえ、遥」
「なに?」
「わたしにも、ちゃんと乗り方、教えてくれないかな?」

- 3話に続く -


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